堀村の釈成法(1)
堀村の釈成法(1)
旧堀村の歴史は古いと思われますが、歴史の資料については、とぼしい状態です。住吉区関連の地誌では、たとえば『住吉村誌』があります。それは、大阪市編入を目前にして、消え行く住吉村の記録を残すために編集が企図され、大阪市編入後の昭和3年(1928年)に住吉常盤会によって出版されたものです。しかし、資料収集をはじめたときにはすでに村は解散しており、大阪市や住吉区に引き継いだはずの住吉村の資料、は整理されずにそのまま雑然と放置され、町村制実施以前の資料や明治維新以前の古記録にいたっては、ほとんど散逸して現存するものがなかったそうです(同書「凡例」)。「村誌」の発行されなかった長居村についても、おなじ状況ではなかったかと推察されます。そうしたなかで、大阪市編入前の郷土史の研究に貴重な資料を提供してくれるのが、『大阪府全志』と『東成郡誌』です。
『大阪府全志』と『東成郡誌』
大阪市編入前の大正11年(1922年)、井上正雄(いのうえ‐まさお、1866年‐1924年)氏が編集発行した『大阪府全志』(全5巻)は、当時の郡村部の役所や神社・寺院に保存されていた資料を収集し、地誌として出版されたものです。同じ年に当時の東成郡役所は、著名な歴史学者で法制学者の三浦周行(みうら‐ひろゆき、1871年‐1931年)博士を監修者とし、東成郡内の各町村と協力して資料を収集して『東成郡誌』の地誌を編集発行しました。さらにその後、三浦博士が協力して『住吉村誌』や『平野郷町誌』など郡内各町村誌がつぎつぎと発行されました。また、堺市は、明治時代に市史編纂を企図し、先行して市史編纂をはじめていた大阪市の編纂主任で歴史家の幸田成友(こうだ‐しげとも、幸田露伴の弟)氏に編纂委嘱をもとめたのですが、大阪市参事会はこれを認めませんでした。堺市は単独で市史の編纂を計画したのですが、うまくいきませんでした。しかし、関東大震災で東京では貴重な歴史資料が失われた現実から、再び市史編纂に着手し、すでに『堺港之研究』(1913、堺市役所)を出版していた三浦博士の協力を得てようやく『堺市史』(1929年‐1931年、堺市役所)の刊行に至ったのでした。堺市は昭和20年(1945年)の大空襲によって歴史の資料の多くが焼失してしまったのですが、記録としては『堺市史』編纂事業の中に残されていたので、今日も歴史を継承していくことが可能になっています。郷土史研究でよく利用される角川の『大阪府地名大辞典』や平凡社の『大阪府の地名』(日本歴史地名体系28)の旧堀村に関する主要な内容も、これらの記録に依拠しているといってよいでしょう。
井上正雄氏の伝記
とくにここで記しておきたいのは、井上正雄氏についてです。『東区史』(1939、東区役所)第5巻所収の井上正雄氏の伝記が紹介するところによると、井上正雄氏は、宮崎県の新聞記者、県会議員をへて大阪府の地方課職員となりました。井上氏は、職務を通じて府内各町村の沿革が不明となっているものが多いことを知りました。そこで、1910年から資料調査に着手したのですが、日常業務との両立が困難となり、1913年、ついに意を決して職を辞し、すべてをなげうって一人で府内市町村を巡り、役所の記録や寺社・個人宅に蔵されている資料、里伝を採集することに専念したのでした。1919年には『大阪府全志』3篇の大著が完成したのですが、私財を費やしても出版することは容易ではありませんでした。井上氏と彼をささえつづけた夫人や兄の堅忍不抜の努力は、人びとを感激させ、やがて大阪府や大阪市の知るところとなって、『大阪府全志』出版事業に補助金が贈られることになりました。その後も編集作業はつづけられ、1922年、職を辞してからじつに10年の歳月をかけて『大阪府全志』全5巻が出版されたのでした。その後、1924年から関東大震災の救援誌の編纂にたずさわっていましたが、直後に病臥に倒れ、亡くなりました。後世に生きる私たちが、郷土の歴史を知ることができるのは、活字となって残されている『大阪府全志』や『東成郡誌』という記録のおかげであり、井上氏はじめこれら二著の完成のために粉骨砕身された方々への感謝の念を、決して忘れてはいけないと思います。
方便法身像裏書
さて、角川の『大阪府地名大辞典』と平凡社の『大阪府の地名』の「堀村」の項目には、『大阪府全志』や『東成郡誌』に記載されていない内容、つまり後に見出された史料にもとづくものがいくつかあります。そのひとつが、「方便法身像裏書」(ほうべんほっしんぞう‐うらがき)で、角川の『大阪府地名大辞典』には、「天文6年4月30日の方便法身像裏書(木本勝太郎氏所蔵文書/富山県史史料編2)に「本願寺釈証如(花押)……永光寺門徒摂州住吉郡堀村 願主釈成法」とある。この裏書から、永光寺門徒である当村在住の釈成法を願主として、方便法身尊形が造られたことがわかる。」とあります。平凡社の『大阪府の地名』のほうも同じ内容です。
文責・駒井守