堀村の釈成法(2)
堀村の釈成法(2)
方便法身像裏書
角川の『大阪府地名大辞典』の「堀」の地名見出しには<東住吉区>とあり、住吉区と間違えているのが残念ですが、その年代別の〔中世〕堀村の項目にある「天文6年4月30日の方便法身像裏書(木本勝太郎氏所蔵文書/富山県史史料編2)」の「方便法身像」とは、いったいどういうものなのでしょうか。
方便
まず、「方便」についてですが、『浄土真宗聖典(註釈版)第二版』(本願寺出版社)に解説してありましたので、それを紹介します。
―― 補註 15 方便(ほうべん)・隠顕(おんけん) 方便とは、仏が衆生(しゅじょう)を救済するときに用いられるたくみな方法(てだて)をいう。その中に真実と権仮(ごんけ)とがある。真実の方便とは、仏の本意にかなって用いられる教化(きょうけ)の方法で、随自意(ずいじい)の法門をいう。それは、大智を全うした大悲が巧みな方法便宜をもって衆生を済度(さいど)されるというので、善巧(ぜんぎょう)方便ともいう。阿弥陀仏を方便法身(ほっしん)というときの方便がそれである。権仮方便とは、未熟な機は直ちに仏の随自意真実の法門を受けとれないから、その機に応じて、仮にしばらく誘引のために用いられる程度の低い教えをいう。機が熟すれば真実の法門に入らしめて、権仮の法門は還って廃せられる。このように暫く用いるが、後には還って廃するような随他意(ずいたい)の法門を権仮方便という。「方便(ほうべん)化身土(けしんど)」といわれるときの方便がそれである。
法性法身と方便法身
法性法身と方便法身という阿弥陀仏の二つのありようについては、親鸞聖人(しんらんしょうにん、1173年‐1263年)が『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の「顕浄土真実証文類 四」のなかで「諸仏・菩薩に二種の法身あり。一つには法性法身、二つには方便法身なり。法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す。この二の法身は、異にして分つべからず、一にして同じかるべからず」とのべています(『浄土真宗聖典(註釈版)第二版)』321頁~322頁)。これは、真宗の七高僧の一人である曇鸞大師(どんらんだいし)が『無量壽經優婆提舍願生偈註』(むりょうじゅきょう‐うばだいしゃ‐がんしょうげ‐ちゅう、往生論註、浄土論註、論註)のなかで明らかにしたことを引用したものです。
親鸞聖人は『唯信鈔文意』(ゆいしんしょう‐もんい)で、さらにくわしく教えています。
「仏性すなわち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、法性すなはち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたへたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。この如来を報身と申す、誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。報と申すはたねにむくひたるなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゑへに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず、無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし」(『浄土真宗聖典(註釈版)第二版)』709頁~710頁)。
浄土真宗の本尊
つまり、法性法身という阿弥陀如来のほんとうの姿は、色も形もなく言葉でも言い尽くせず、わたしたちには見えない超越したものですが、衆生のために方便法身という形を示してあらわれ、智慧光を放って無明の闇を払う南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)という御名をしめしたのであり、方便法身像や方便法身尊形というのは、そのすがたを絵像(えぞう)にしたものです。尊形とは尊いすがたのことです。角川の『大阪府地名大辞典』にある「天文6年4月30日の方便法身像裏書」とは、その絵像の裏書のことです。
浄土真宗の本尊には、阿弥陀如来の木像(もくぞう)や絵像、「帰命尽十方無碍光如来」(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)の十字名号(みょうごう)、「南無不可思議光如来」(なもふかしぎこうにょらい)の九字名号、「南無阿弥陀仏」の六字名号などがあります。木像も絵像も名号も、浄土真宗では大小上下の差はなく、御本尊として同等です。
本願寺の勢力拡大と本尊
戦国時代、浄土真宗の本願寺は、守護や戦国大名など武家勢力とたたかいながら勢力を拡大してきました。明応5年(1496年)、蓮如上人が大坂石山に坊舎を建立してからは摂津、河内、和泉にも本願寺の門徒が急増し、御本尊が下付されました。『空善記』には「おれほど名号かきたる人は日本にあるまじきぞ」と蓮如上人がおっしゃったという記事がありますが、求める人びとにはすべて御本尊を下付したのでしょう。
御本尊のほかに、本願寺が末寺や道場、門徒に下付した免物には、御開山(ごかいざん)御影(ごえい)、御絵伝(ごえでん)、歴代宗主(そうしゅ)御影、聖徳太子(しょうとくたいし)像、七高僧(しちこうそう)像などがあります。
御開山御影は宗祖(しゅうそ)親鸞聖人の肖像、御絵伝は親鸞聖人の生涯、歴代宗主御影は蓮如上人はじめ本願寺の歴代宗主の肖像をそれぞれ描いたものです。七高僧は、親鸞聖人が真宗の祖師(そし)と定めた七人の高僧のことで、インドの龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・天親菩薩(てんじんぼさつ、世親菩薩)、中国の曇鸞大師(どんらんだいし)・道綽禅師(どうしゃくぜんじ)・善導大師(ぜんどうだいし)、日本の源信和尚(げんじんかしょう、恵心僧都)・源空上人(げんくうしょうにん、法然上人)の七人です。聖徳太子は、日本に仏教を広めた「和国の教主」とされています。
御本尊をはじめ、こうした古い時代の免物が、戦乱や星霜にたえて現存しているものは多くはありません。堀村の釈成法に下付された「天文6年4月30日の方便法身像裏書」の存在は、浄土真宗をめぐるたたかいの渦中に堀村があったことをうかがわせるものです。
文責・駒井守